スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

清々しい涙(8/17)

仕事をしていてはたと気付いた。
しまったー! 今日は漢学の試合じゃーん!
仕事してる場合やない!
第一試合で静岡の常葉橘が勝ったので気を抜いていたぜ。

見始めた時は2×2の同点。
その後1点勝ち越し。
今日も勝てそうか?
でも相手は中京やからなあ。
甲子園勝率7割以上やからなあ。

正捕手の山崎君はどうやら早くも1回裏にマウンドに立つことになったらしい。
大丈夫なんかなあ・・・

その後同点にされ、また追いついてのシーソーゲーム。
山崎君は途中で捕手に戻り、同点に追いついた9回にまたマウンドにあがった。

延長戦になるものと思っていた。
けれどあっという間の結末だった。
あの球をあそこまで持っていった打者を褒めるべきだろう。

のびのびと楽しくプレーしていた球児たちは悔し涙を流していた。
こんな涙は今日はいくらでも流していいと思う。
繰り返しちゃいけないのは何度も同じ失敗を繰り返しては流す涙。
そんなのは悔し涙とは呼べない。

彼らの涙は清々しかった。

第4試合の横浜隼人×花巻東。
これも実にいい試合だった。
ユニフォームがタイガースそっくりなもんだから横浜を若干ひいきに見ていたけど、
花巻もいいチームだった。

花巻で目にとまったのはセンターの佐藤淳平君。
身長155cmなんだって。
私よか低いんだもん。
その小さな体を更に低くしてバッターボックスで構えるからこれまた目にとまる。
バットもまるでバントをするかのような持ち方からヒッティングにうつる。
そして粘る。
彼は小さい頃病弱だったらしい。
そこへもってどこかしら阪神の藤本選手に似てるようにも見えてきた。
益々応援したくなる。

けれど、何よりハッとさせられたのは、横浜がピンチの時にマスクを取ったキャッチャーがナインに発した言葉。
「笑って!」
聞こえたわけじゃないけど彼の口元はそう動いたように私には見えた。

なんて素晴らしい身構えなんだろう。
その前向きさ、私も見習わなければならないと思った。

結果は横浜がやぶれたけれど、多くの選手達は泣かなかった。
泣いていた選手も号泣じゃなかった。
自分達の力を出し尽くして出た結果だと受け入れているかのように見えた。
その流さない涙も実に清々しかった。

関学を見には行けなかったけど、次は花巻東を応援するよ。
選手権はまだまだ続くから。
スポンサーサイト

お参り(8/15)

今日はお盆。
先週行けなかったのでお願いしてお参りさせてもらう。

お参りの方が訪れる旅たくさんハイライトを吸わせてもらっているのだろう。
線香たてが灰皿化している。
でも私も吸わせてあげよう。

今日は春生といとこのヒロ君がいて、後から都と良太が来た。
ここにくるといつも栄養補給をさせてもらっているようになってしまうので、
今日はトマトの冷たいおでんと冬瓜のたいたんを冷やしたのを持ってきた。
大竹野さんは冬瓜好きやったそうで、
しかもこずえさんは長いこと知らなかったらしい。
「何や、好きや言うてぇや」と思ったらしい。
そうそう、ウチでもそんなんあったっけ。
ウチの夫は蕗が好きやったらしい。知ったのは数年前。
言うてぇや、やなあ。

その夫も今日は残業が1時間しかないのでお参りにこられた。
お参りといっても殆ど飲んで話をしてるだけなんやけど。

それでも今日はお父さんの初盆やし、
まだ四十九日の中陰に満ちてないし。

あとどれくらいお参りに来られるだろう。

もう少しお話しよ、大竹野さん。

あ、今度また奥方と都と良太を借りて阪神戦見に行くのでそこんとこよろしくです。

合掌

初戦突破!(8/12)

7/30に甲子園出場を決めた関学高等部。
ここは男子校だし、私は大学からだから関係ないと言えば関係ない。
だけど、一時ここで教えていた事もあるし「関学」ってだけでやっぱり身内感覚になってしまうアタシ。

甲子園出場が決まった日に大学の先輩に「優勝しましたね」とメールを送ったら、
「何に勝ったの?」と返事が。まあそうだよね。出身校じゃないんだもんね。

そうそう、県大会優勝の際高等部の校歌を初めて聞いた。
いや、初めて知った。大学の校歌と全く同じだって事を。
いやいや、大学時代に「全く同じやで」と聞いていたかもしれないが、
そんな事覚えちゃいなかった。
そういやあ高等部出身の子は入学当時から校歌を歌えてたもんなあ(しかも2番以降も)。

「空の翼」をこうやって聞くと感動するもんだと思ってから早や2週間ほど。
今日は甲子園球場に流れる「空の翼」を聞いてまたまた感動。

KGの野球部は楽しんでプレーしているような印象を受ける。
監督もいつも晴れ晴れとした空気を醸し出してすがすがしくさえある。
昔のようなスポ根タイプはもういないのかもしれない。
それはそれでいい事なんじゃないかと思うなあ。

次も勝っておくれ。そしたらその次は見にいけるよう交渉してみるから。
(けど、えてして見に行くと負けるってもんだが)

地震(8/11)

朝起きたら地震が起こっていた。らしい。
こちらも揺れたらしいが、小さな地震くらいではめったに起きないのが東海地方で育った者。
震度1や2は地震のうちに入らないのだ。

けれど静岡はかなりの揺れだったという事をTVで知った。震度6くらいか…
浜松あたりは多分震度4くらいだろう。
それくらいだったらまあちょいちょい起きているのであまり心配はない。
だから家に電話するのはやめておいた。

すると、何人かが心配してメールを送ってくれた。
他の人が心配してくれてるんだし、確認しないわけにはいかないか、と思い直して電話してみた。
案の定つながらない。
携帯もつながらない。(実家は全員Docomoで、通じにくいんだとか)
仕方なくいとこも含めて各々にメールを送ってみた。それが6時50分。

最初に返事が来たのは姪の真子から。それが7時23分。どうやら大丈夫らしい。
その後も徐々にいとこや義妹などから返事が届く。いずれも大事ない模様。
やっぱり震度4くらいでは被害も出ないし動じることもない。
いとこのひとりは二度寝したらしい。
弟に至っては地震後お経まわりに出かけて帰ってきてから電話をかけてきた。
おそるべし東海人。
心配して下さった方々ありがとうございました。なんだか申し訳ない気分。

けれど静岡は東西にやたらと長いので、東方面はかなりひどい被害も出ている模様。
大きな被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。
 
これは東海地震ではない。
けれどこれが呼び水のように作用していつかは起きるであろう大地震の訪れを早めてしまったりするかもしれない。
そんな事を素人の私は思う。

いつかは起こる。
そう覚悟はしているが、実際に「起こるかもしれない」という実感がないまま日常を過ごしている。
その薄い“実感”を感じさせてもらえた事を幸いであると感じなければならないだろうと思う。

今の自分はどうなのか。

恥ずかしい限りだ。

豪雨(8/10)

西の方がとんでもない事になっている。佐用町あたりがかなりひどいらしい。

知り合いが佐用町に住んでいるので気になるんだが、
今は連絡されても困るだろうと思い控えている。
地盤が固いと言われている岡山の実家あたりも気になるのでこちらは連絡したが、
幸いにも大したことはなかったようだ。
いくら“晴れの国”とはいえ、かためて降られるにも程がある。
今後もっと悲惨な事がありうるかもしれない。

知り合いの状況は夜になって連絡した方から伝え聞いた。
大事はないらしいが、これからが大変なはずだ。
どうか無理はされませんように。
災害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

今年の梅雨~夏はおかしい。
いや、「今年はおかしい」と毎年言っるような気もするが、やっぱりおかしい。
一体こんな事がどれだけ続くんだろうか。

退院祝い(8/6)

手術が終わって無事退院された我らが美術殿の退院祝いをことぶき屋にて谷本ちゃんと3人で。

18時頃から結構飲みました。
回復状況に始まり、著作権の話やら助成金の話やら、
実にいろんな話をしたけど、半分以上は大竹野さんの話をしていたように思う。
それほど私らには衝撃だったんだよ、大竹野さん。

何はともあれ、無事に退院出来てホントによかった。
こんなばかげた悲しい出来事が二度と起こらないよう、
那賀ってやまない。

音を学ぶ(8/5)

WFにて行われたワークショップ第2弾。
今日は橋本剛さんが講師。
大学の准教授もされていて、太陽族さんの公演では曲を提供されてもいる。

私は犬事ムの頃に音響をしていたこともあり、主催側のスタッフだけれども講義を聞かせていただいた。

なんと楽しく収穫の多いワークショップだったことか。
音に関する事だけじゃなく、役者さんにも是非聞いてもらいたい内容だった。

芝居における音響は勝手に入れたり消したりすればいいってもんじゃない。
照明さん、役者さんとの呼吸・間を十分感じながらオペをしなければなならいし、
きっかけ(Cueの事)は機械的に決められた通りにならない事だってある。
選曲は好きな曲を勝手にもってくればいいってもんじゃない。
演出が望むものは何か、異化効果を狙うのか、役者を助けるのか役者に挑戦するのか、
いろんな要素がからみあって再現される。
そんな事を思い出しながら、自分の選曲やオペレーションはどうだったのか、
ふと思い返してみる。

自分は音符は読めないし音も自分で作れない。
一度だけ犬事ムの「サラサーテの盤」の時に「ねずみの唄」をむりからに作曲した事があるだけで、
後はちょっとしたSEを出来る範囲で作ったくらいだ。
それを思うと「ああ、音楽を少しくらいはやっとけばよかったなあ」とつくづく思う。
絶対音感が欲しいとまではいかないが(もはやとうの昔に手遅れだし)、
音符くらいは読めるようになっておけばよかった。

今からでも出来るのかどうか?

結構声の音色を覚えている事が多いので、全く可能性がなかったわけじゃないような気もする。
あー、でももう音響をする事はないんだろうなあ。

それでも私を音響として使ってくれた大竹野さんには感謝してやまない。

機会があれば、いや機会を作ってもう一度立ち返るべきなのか。

そんな事を思いつつも、楽しく終わった。

昨日に続いて今日も電車で帰れなかった。
ひゃー、かなりの金欠だぁ~

どうにかなるのか?
夫に借金してるのに・・・

3連勝!(7/30)

7月は甲子園観戦月となる筈でした。
7/16には4人で行ってあえなく負けてしまい、
7/21は結果的には雨天中止。この日はお通夜だったからどっちにしろ行く事はなかったけれど。
そして今日、お相手は小寿枝さん。

亡くなる1週間前に約束をしていたのだけれど、どうなんだろう。

結局気晴らしにもなるしって事で決行。
チケットは早くに送ってあったし、ユニホームジャージも25日に持っていって渡したし、
方向音痴だから待ち合わせもしたし。
準備万端。

待ち合わせの臨時出口あたりで待っていたら小寿枝さんから電話が。
見つけられないんだな。よしよし見つけてあげよう。
「今な、臨時出口のとこにいるんやけどな、あたしチケット忘れてきちゃった・・・」
な、なんですと!?
「もうチケット売ってないよなあ」
たぶん・・・ それにあっても一緒には座れないっす。
取りに帰りましょう!

結局、春生に頼んで途中まで持ってきてもらうことに。
私は先ずはひとあし先にプレイボールから観戦を。

今日の久保はすごく良さそう。低めにきまってるし。
でも相手は三浦やしなあ・・・
と思っていたら1回裏に早速先制。
こりゃいいぞ!

いいんですけど試合運びが速すぎますって。
まだ小寿枝さんが戻って来てないし。
いい試合なんやけどもう少しゆっくりやってください。

小寿枝さんが戻ってきた時にはもう4回。
早すぎる!
でもいい試合だし、小寿枝さんが大好きな赤星がすぐ傍に見られるし、
盛り上がってます!
でもビール飲んでる暇さえありません。
やっとキリンの生ビールにありつけたのは8回。
そして滞りなく無事3連勝致しました。

久保がお立ち台に立ったのはなんと20時14分。
すごすぎる。
こんだけ早かったら思いっきり歌って帰れるぞ。
国歌(六甲おろし)斉唱して応援歌をメドレーで歌って、
さらに歌って、十分堪能して帰りました。

一旦甲子園口まで行き、二人でゆっくり飲みました。
恒例の記念撮影。私目つき悪いっすね。

P7300455-2.jpg

また行きましょうね。
今度は小寿枝さんが大好きな下柳先発でキャッチャー矢野ってのがいいですなあ。
うまくそういう時にチケット取れるかわかんないけど。
それまでに赤星の応援歌覚えといてね。

役者大竹野さん(7/25)

今日は初七日。
そして、今日は役者としての大竹野さんについて書こうと思う。

私が初めて大竹野さんに会ったのは20年前で、その時彼は役者さんだった。
まちの芝居屋さん+犬の事ム所+桜企画の合同公演で、山崎哲の「パパは誘拐犯」だ。
1989年10月本番、私は制作として呼ばれ、初めて大きな公演にかかわる時だった。

大竹野さんの役はおばあちゃんで、漫画のようでもあり劇画のようでもあり、
実にインパクトのある何とも言えない独特の雰囲気を醸し出していた。
それから、舞台に立っている時と楽屋にいる時の違いに驚いたっけ。
ああ、役者さんてこういうものなんだなと勝手に納得していた。

その彼が作家であり演出家であり犬の事ム所の主宰であり、
けれど彼一人きりの状態である事を認識したのは、役者大竹野さんとの出会いの後なんである。

私はこの人の芝居にどうしてもかかわってみたくなった。
スペースゼロの古賀さんにもすすめられ、次の公演「Kのトランク」の制作をさせてもらい、
そのまま犬事ムに居座ってしまった。


犬事ムでは昔は主役も演じていたほどだが、演出が占める割合が大きくなると演出に専念しる方向に向かっていった。
けれど、他劇団やプロデュース公演にはしばしば呼ばれていた。
それほど魅力ある役者さんだったのだ。

けれど、いろんな事もやらかしている。

1992年の年末スペースゼロプロデュース「月光夜曲」に出演した時だ。
本番中に劇場入口のドア前に何人かの役者さんがスタンバイする必要があったのだが、
ある日いきなり客席の蛍光灯がつきだした。
見れはドア横の壁に付いている蛍光灯のスイッチに大竹野さんが思いっきり寄りかかっている。
「あ、ダメ!大竹野さん!寄りかかっちゃダメ!」
事の重大さに気付いた彼は慌てて消そうと闇雲にスイッチをいじる。
そしてついてない蛍光灯まで全部つけてしまった。

あーーーー・・・・・・・・・

それ以来ゼロの公演中にはドア横のスイッチを保護する小さなダンボール箱がかぶせられる事になった。

小道具を持ち忘れたり音のきっかけをとりにくかったり(私は犬事ム時代に音響もやっていた)、
困ったちゃんな面もあったけれど、
私が台本を書くようになってからからはその魅力溢れる役者さんに自分の本に出てもらうのが夢だった。
その夢が叶ったのは2004年3月の第1回大阪現代演劇際「四話の女偏」だった。

女性作家4人が書いて自分以外の作品を演出するというもので、
私の本はナカタアカネちゃんが、アカネちゃんは渡しの本を演出する事になった。
私は誰の本に当たってもよかったし、誰に演出される事になってもよかったんだけれど、
何となくそうなるんじゃないかと予感していた。
だからという訳じゃないけれど、書いている段階で失業した中年役は大竹野さんで見てみたいなあと思っていた。
アカネちゃんはそれを叶えてくれた。
一度は「声をかけたんだけど無理やったんですよぉ」という報告を聞いてガッカリしたけれど、
結局出てもらえる事になったのは我がことのように嬉しかった。

オムニバスのその公演の1本目はアカネ組、次が晴佳組だった。
ウチのチームに出ていた杉山がこう言っていた。
「大竹野さんな、1本目が終わってるもんだから俺らのラストシーンになると袖に来て毎回泣いてはんねんで」
そうなんや。
それは、通し稽古を初めて見たアカネちゃんが感激してくれたのと同じくらい嬉しかった。

4本目のラストあたりで、既に終わっている他のチームの役者さん達が黒い衣装を身にまとい舞台を覆いつくすコロスシーンがあった。
その中で誰よりも眼光強く押し迫ってゆく迫力溢れる大竹野さんの立ち姿が忘れられない。
何という役者さんなんだろう。
今度は私が書いて演出する芝居、あうん堂に是非出てもらいたい。
ずっとそう願っていた。

早速その年9月の「あなたもえくぼ」に声をかけたけれど、くじら企画の公演が近くて叶わなかった。
そしてやっとのことで実現したのが去年の公演だった。

「セリフが入らないよぉ~」なんて笑いながらも全力投球で稽古に挑む彼。
夫婦のラブラブシーンでははにかみながらも愛情たっぷりに演じてくれた。
ああ、これが役者大竹野正典なんだ。
出てもらえてホントによかった。

主宰杉山は終わった後の精算会でこう言った。
「出て頂いてホントによかったです。またあうん堂にお呼びしたいです」と。
「楽しかったわ。ありがとう」
それが役者大竹野さんとの最後になってしまった。

090725_1702~0001

これはギャラと言うにはあまりに少ないあうん堂からのお礼で買ったという登山用の腕時計。
とても嬉しそうに大切にしてくれていたとの事。
私も杉山も、役者大竹野さんをお呼びしてよかったと心から喜んだ。
お通夜とお葬式では小寿枝さんが腕につけていた。
これはどうやら良太のところにいくらしい。
どうか大切にしておくれ。
私達と役者大竹野正典をつなくかけがえのない品だから。
プロフィール

あうんど

Author:あうんど
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。